染色体説

染色体説提唱の背景には、全ての細胞は細胞から生じるとする細胞説と、当時再発見されたばかりのメンデルの法則がある。20世紀初頭、黎明期の遺伝学と、先行して発展していた細胞学の融合から、遺伝の染色体説が誕生した。

メンデルの法則は1865年に報告されたが、長い間歴史に埋もれ、「再発見」されたのは35年後の1900年である(詳しくはメンデルの項目を参照)。遺伝の連続性が保証される背景には細胞説があり、これに基づく古典的な細胞学は、染色・観察技術の発達とともに19世紀末までには発展を遂げていた。またアウグスト・ヴァイスマン(August Weismann)は遺伝因子は生殖細胞にあるとする生殖質説を提唱しており、移植実験などからは細胞核に遺伝物質があることが予測されていた。1842年に発見された染色体に関しても、続く研究でさまざまな生物種における種類や数、細胞分裂において母細胞から二つの娘細胞へと受け継がれる様子などの知見が蓄積しつつあった(ヴァルター・フレミング (Walther Flemming)の項参照)。

人民オリンピック

行われなかった人民オリンピック。

人民オリンピックは、同じ1936年に開催されたベルリンオリンピック(ヒトラー率いるナチス政権が主導した)に抗議するため計画された。スペイン第二共和制下で人民戦線が政権を獲得し、ベルリンオリンピックにはスペイン選手団を送らずボイコットすることを決定した。そして別の日程でスポーツ競技大会を行うことになった。人民戦線政権は、ベルリンオリンピックにおいてオリンピックのアマチュア精神がないがしろにされ、ファシストたちの政治宣伝の場にされるのを嫌った。

人民オリンピックはそれまでのオリンピックと構造が変えられた。選手が所属する様々な領土の形態に門戸を開いた。すなわち、国家、地域、地方の3つの種類に分けたのである。一カ国の代表団が、どの競技もこの3つの種類で選手を送ることができた。これが国家間だけの競技会ではないことが理解されたが、アルザス、ロレーヌ、フランス領モロッコ、スペイン領モロッコといった非国家・地域もテストに参加できるようになっていた。